TOP > TOPICS > From PARIS:ムーブメント・ファッション展#2
COLUMN
フランスにおけるスポーツウェアの歴史
時代と共に肌露出も増えてゆく
ファッションとスポーツは相反するものでは決してありません。
昨今では、両者の関係性がさらに深まり、オフィシャルな場でもスーツにスニーカーは見慣れたスタイルであり、洋服の生地やカッティングには、その可動性がさらに求められてきています。
現在、ガリエラ・モード博物館で開催されている「La mode en movement」では、3期にわたりファッションと身体の動きについて、多方面(CHANEL、HERMES、Yoji Yamamoto、Musee du sports…etc.)から貸し出された多くのモードやアクセサリー、ポスターや写真とともに、その歴史を学ぶことができます。
パジャマのような初期のスイムウェア(右)
第2期では、18世紀から現在までのスポーツウェアに加え、特に19世紀末からのスイムウェアに焦点を当てた展示になっています。
この時代、ごく限られた富裕層の人々の嗜みでしかなかったスポーツが一気に民主化され、政府は健康のために海水浴や水泳を推進してゆきます。19世紀の医者たちのすすめと鉄道の発展にともない、瞬く間にノルマンディ地方やバスク地方を中心にビーチリゾートが増加します。元々古くから英国貴族たちの人気のリゾート地であったコートダジュールは、1920年代アメリカの富裕層たちによってさらに人気が拡大しました。
1920年代のビーチ用のコートや帽子
当然のごとく、ビーチは男女の出会いの場、社交場となってゆきます。それにともない、自治体は道徳的な秩序維持を強制し、ビーチウェアに規制をかけました。
1960年代の男性用スイムウェア
そのころの自治体の貼り紙には、海岸で女性はブラウスやパンタロンを必ず身につけること、着替えは必ずテントやキャビンの中で行うこと、など細かい指示が記されています。
ブラウスとパンタロンで海水浴?と思いますが、まさに水着の先駆けといったこの時代のビーチスタイルは、現在のかたちとは程遠いパジャマのような上下で身体を覆い、素材はウールかリネンもしくはコットンで作られていました。
想像しただけで動きづらく、ましてや水中にはまったく適していない形ですが、女性たちは帽子やストッキング、アクセサリーをつけビーチファッションを楽しんでいたようです。
20世紀への変わり目、スイムウェアの形が大幅に変化します。美しい女性水泳選手たちのメディアの露出に伴い、よりスポーティなジャージー生地のウェアの普及が加速しました。もちろん、腕や脚は露出傾向へ、アクセサリーも排除されてゆき「泳ぐ」ためのウェアの登場です。
スポーツモードのイラスト
第一次世界大戦後は、人気のクチュリエたちもビーチウェアに力を入れ始め、海辺のリゾート地には大都市にあるブティックの支店が立ち並ぶようになります。
ファッション雑誌ではスイムウェアだけでなく、ヨットウェア、リゾート地での夜のパーティウェアが紙面を盛り上げました。さらにその後、1930年代では、『VOGUE』など人気ファッション誌で頻繁にスポーツが取り上げられ、女性の引き締まった日焼けボディへの憧れが確立されてゆくのです。
日本をはじめ、アジア諸国では色白ブームが続いており、日光恐怖症のような、真夏でも全身真っ黒で覆い、つばの大きい帽子にサングラス、手袋、マスクをして歩く女性を見て忍者かテロリストか!?と驚くヨーロッパ人の話をよく耳にします。
フランスでは、医学的に紫外線は肌に良くないと知りつつ、夏になればビーチで肌を露出し、ブロンズ肌に憧れる女性が一向に減らないのも、こういった時代の背景があるのでしょう。
特に高齢者の方にその傾向があるのは、その時代に青春を謳歌した世代だからなのでしょうか。
[PROFILE]
KISAYO BOCCARA
パリ在住の帽子職人&通訳コーディネーター。東京藝術大学デザイン科卒業後、渡仏。パリの帽子専門学校を卒業し、C.A.P.職人国家資格を取得。現在は、帽子&アクセサリーのブランドを運営しつつ、日仏をつなぐコーディネーターとして活動。パリ郊外の森近くにて、夫と息子2人の4人暮らし。
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